My Essay by SWING

2000年10月21日

早いもので、ミレニアムと呼ばれ2000年問題と騒がれた年も後2ヶ月あまりを残すところとなりました。シドニーオリンピックでは、これまでにあまり注目されてこなかった競技で好成績を残す等して話題となりました。特にボート等は世界の強剛に全く歯が立たないと思われていたのが、もう少し実力をつければ互角に戦える所まで成長した事は、賞讃に値すると思われます。また今年度のノーベル化学賞に白川筑波大名誉教授が選ばれました。受賞した内容を考察すると、随分と身近な研究が評価されたのだな、と感じられます。このように近年日本人の各分野のエキスパートに対するいわゆる世界レベルでの評価というものは、全体的に向上しているのではないか、と思います。個別に考えればレベルダウン著しいものもあれ、スポーツや創作活動、研究活動に対する評価は良くなっているようです。それとは反対に国内での自分達に対する評価はどうでしょうか?小中学校で叫ばれている学級崩壊、セブンティーンズテロとさえ呼ばれる未成年犯罪の増加などは、これまでの日本の教育政策の誤りによるものではないか、と言われる事があります。この現象は有る意味自然に発生したと考える事も出来ます。なぜなら各個人の個性を伸ばす事に重点を置くならば、全ての子供に対してケアすることは人員的物理的に不可能であるので、結果的にはケアされない子供が現れます。そのような子は、自らが自らの道を切り開いて素晴らしい個性を発揮するようになるか、あるいは道を切り開けず迷走していまうか、ということになります(当然個人差がありますが)。同時にケアの恩恵を受けた子も同様に、用意された道をスムーズに歩んでいく子と道を踏み外す子に別れます。結局現在の世の中が前提としてある場合には、個性を伸ばす教育は勝者と敗者を生み出す事になります。その事を受け入れる為の土台は残念ながら日本には無い様です。

1998年2月18日

長野オリンピックでは、日本代表選手の活躍が連日報道されております。 特にジャンプ団体での金メダルは、4年前のリレハンメルでの原田選手の 「失速」の事もあってか、マスコミなどでも大きく取り上げられているようです。 このジャンプ陣に関する報道の中では、原田選手と船木選手の対比が しばしば見え隠れします。原田選手は、常に笑顔をたやさず明るく振る舞い、 ジャンプは「当たる」か「はずれる」か、といった感じで、船木選手は、 言葉少なめで、堅実で美しいジャンプをする、といった風です。 最も、実際の所どうなのかはわかりませんが、メディアより与えられる情報からは、 イメージとしてそのように感じられます。原田選手はいつもは笑顔 でインタビュー等に受け答えるが、団体戦のあとは涙を流していました。 おそらく、リレハンメルの後様々な苦労があったのだろうと想像します。 そのとき私は、これがメディアが待ち望んでいたショットなのだろうな、 と若干冷めた目で見ていました。と同時に、この事が全国各地の少年少女に対する スポーツ指導者と呼ばれる人達に悪用されるのでは、という不安も感じました。 それは、「人間努力すれば必ず成功する」といった過信に対する不安です。 人は、しばしば涙を流す人に感動することがあります。そうなる理由は、 例えばその人の背景にある事柄を想像し、 こんな苦労やあんな問題を乗り越えてすばらしい結果(あるいは、 結果は悪くてもその過程)を出した、といったものです。 この感覚は、観戦者の立場としてはスポーツにはなくては ならないものの一つでしょう。しかし、競技者にとってはむしろ害になることすら あると思われます。スポーツ競技は、戦いである以上勝負がつきものです。 つまり、勝者と敗者がセットになっているわけですから、「人間努力をしても 必ず成功するとは限らない」ということになります。 その部分を欠いたまま、スポーツ指導者と呼ばれる人達が少年少女に、 「がんばれば、君も原田や船木になれるんだ」といったような事を 言うことになれば、彼等は悲しい結末を迎えてしまうのではないかと 私は危惧します。スポーツ指導者と呼ばれる人達が、原田選手や船木選手のように すばらしい結果を残した人だけでなく、期待されながら結果を残せなかった 選手たちや、まったく報道されない選手たちの事について、少年少女に 伝えてあげることが大切だろうと感じています。


1998年2月14日

しばらくここに書くことをさぼっておりました。 きがつけば2月以上もたっていました。

ここ数ヶ月の間に色々な事件が起こっています。 日本の4大証券会社の内の一つであった「山一証券」が自主廃業に 追い込まれたり、旅行会社としては中堅所であった「ジェットツアー」の 事実上の倒産等、ここ数十年間の日本では考えられなかった事が、 次々に発生しています。 報道などでは、しばしば、これまでの日本の企業のやり方に限界が来たために、 力のないものは自然に淘汰された結果であるとしています。 限られた情報から想像するに、例えば「山一証券」は「飛ばし」と呼ばれる不正行為 等を行っており、それによる自社内の負債額をみると、経営的側面あるいは 倫理的側面からも自主廃業に追い込まれたのは、考えようによっては遅すぎたと いえるのかもしれません。これから、4月に「日本版金融ビッグバン」と称して 外為法等の法律が改正される事によって、益々パブリックな感覚の無い企業は 淘汰される運命が待ち受けているのでしょう。これから先、常に世の中の動きに センサーを働かせることのできない人達は、容赦無く切り捨てられていく時代が やってくることは容易に想像できます。 世の中が動くタイミングのときには、必ず大きな「壁」のどこかに ちょっとした「穴」が開いていて、そこにはどこからともなく「糸」が垂れている のです。もっとも、その「糸」の先には楽しい世界が待っているかどうかは 誰にもわかりませんが、少なくともそのチャンスはあるわけです。 しかし、その「糸」は芥川竜之介の「蜘蛛の糸」のごとくとても細いので、 それほど多くの人間がのぼっていけるわけではないのです。 それでも、そういった時に「糸」は普段よりも多くぶらさがっているのです。 さあ、みなさん来るべき時期に向けて、「糸」を見つけ出す「目力」を磨いて おきましょう。


1997年12月9日

むむ、時はたつのがはやいですね。前回からもう1ヵ月以上たっております。 今回は、来年の6月10日に開幕するワールドカップに参加することになった サッカー日本代表(以下代表)とそのサポーターについて少し考えて見る。 ご存じのとおり、代表はアジア代表3位決定戦でイランに勝利し、念願のワールド カップ出場権を手にいれた。アジア予選中は、成績不振や監督の更迭等もあって、 一時は多くの人が参加不可能であると思っていたことであろう。 しかし、最終的には代表の意図するサッカーが少なからず機能して、 出場権獲得にこぎつけたわけである。 雑誌中でセルジオ越後氏も語っているが、代表はこれまで懸案であった大きな課題を とりあえずクリアすることができたわけである。 さて、ようやくスタートラインに立つことが出来た。どのようにして世界の強豪と 戦うかという問題は、一筋縄ではいかないであろう。 体力、精神そして経験、どれをとっても代表が他国の代表に比べて明らかに 秀でているものは見当たらない。これは、当然である。 もしそうであるなら、とっくに出場しているからである。 他国とて、一部の国を除けばそれほど大きな差があるわけではない。 勝つためには、小さな差をいかにして得点に結びつけるか、そして失点しないかと いうことがどれだけ出来るかが重要なのである。 今回のワールドカップ本大会の予選では、アルゼンチン、ジャマイカ、クロアチアと 同じグループに決定した。このなかでは、アルゼンチンとクロアチアの力が一歩 抜きんでていると言われている。決勝トーナメントに参加するためには、各グループ 2位以内に入らなければならないので、どちらかを打ち破らなければならない。 具体的な対策は、すでに練り始められていると思うが、筆者は一つ提案をしたい。 これは、いろんな人がすでに言い尽くしている感もあるが、代表にそして出場する 選手として選ばれる者は、その時点で最も能力が高い者であるべきだ、という事である。 これは、コンディションや相性等をすべて含んだ上での能力を意味している。 ようするに、余力を残している余裕がないわけであるから、文字どおり総力を尽くす必要が ある。そんなときには、過去の実績はまったく参考にならない。 したがって、アジア予選を戦ってきた選手がベストの選手ではないということを、 胆に命ずる必要がある。 個人的には、ヴェルディ川崎の前園選手やサンフレッチェ広島の柳本選手等は、 世界に通用する身体能力やテクニックを持っていると考えているので、是非代表復帰 してもらいたい。もし、代表関係者が本大会を見越してこれらの選手を隠していたのだと するならば、アジア予選をとりあえず突破したのだから、作戦成功である。 ロペスにつぐ秘密兵器を期待したい。
一方サポーターは、アジア予選中いろいろな一面を表わした。代表が絶不調の時には 玉子を選手に投げつけ、最後の試合ではマレーシアのジョホールバルを まるでホームスタジアムのように変えてしまった。 筆者は、この光景を見て4年前から随分進歩したと感じた。 なにが違うかというと、調子の悪いときにブーイング(ここでは非難という意味合いも含む) を浴びせることが出来るようになったのである。 もちろん、玉子を投げつける行為が正しいといっているわけではない。 正しくブーイングするためには、本当に調子が悪いのかどうかを判断できなくては ならない。必ずしもそうではないが、少なくとも4年前は最終的に負けたときでさえ、 正当なブーイングは起こらなかった。筆者は、よくも悪くも正しいブーイングは選手を 育てると確信している。それは、サッカーを始めとするプロスポーツで成功している ところでは、まず間違いなくブーイングが浴びせられている。 同時に、ブーイングはサポーターも育てるといえる。がんばって、と応援するのはただの 応援団である。サポーターは決して応援団であってはならないと思う。 もし6月10日、まるで我が子が初めてピアノの発表会に参加する親の如く代表を 暖かい目で見守るサポーターの姿がテレビに映し出されたとすれば、選手もまた 初めての発表会で緊張して音をはずしてもしょうがないや、と思ってしまうかもしれない。


1997年11月2日

しばらく間があきましたが、今回は日本国内における男女の状況について考えて見よう。 ここでは特に日本人の男女に限って話をすすめてみる。 先日筆者は、国家資格にあたるものの資格試験を受けた。その試験会場では、おそらく数千人 はいたであろう受験者であふれていた。年齢層をみても、下は18、9歳あたりから 上は60歳程度の方もいた。男女の比率は大体5:5といったところであったと思う。 非常に印象に残ったのは、トイレでの出来事であった。 筆者がトイレに入っていると、外でなにやら女の子が数人こそこそしゃべっている。 どうも、女用のトイレが満杯であるため次の試験に間に合わなくなる可能性があるので、 男用のトイレに入ってしまうかどうかを話し合っているようであった。 「やはり、同じ人数の男女がいたらトイレの数としては女の人のほうが少なくなってしまう みたいだな。」と思っていると、意を決したかのように数人が入ってきた。 筆者と目があった女の子などは、まるで私が女用トイレに入っていたかのような目付きで、 用を足しに入っていった。ここで、男女のトイレの必要個数について話をするつもりはない。 女用トイレが絶対的に足りないことはわかりきっているからである。 やはり、強く印象に残ったのは緊急事態になったときの女の人(ここでは日本人に限っている) というのは、それを解決するためにある程度の普段の遠慮や常識を捨てさることが出来るのだな といったことである。もちろんすべての日本人女性がそうであると言っているわけではない。 その女の子達は、年齢で言えば20歳前後であったと思う。ただし、これはその年齢に限った ことではないようである。先日、高速道路のサービスエリアでトイレにいくと、やはり女の人 が男用のトイレにならんでいた。その人達の年齢層は大体40歳から50歳程度の、いわゆる おばちゃんといわれる人達であったことを考えれば、比較的広い年齢層でそういった行動に 出る女の人がいるのではないかと思われる。ただし、どちらも数人あるいはそれ以上のグループ であったことは、その行動にでるための決定要因に関係していると思われる。 どちらの場合も、他に有無を言わせぬような雰囲気を漂わせていたことを思えば、やはり 日本の女性は強いといわざるを得ないであろう。 何しろ、逆の立場だったら絶対といっていいほど男は女用トイレに並ぶことは出来ないからである。


1997年9月29日

さて、今回は医薬分業についてすこし考えてみよう。みなさんは、病院で薬をもらうという ことについてどう思われているだろうか。病院側からすれば、薬価差益(汎価より安く薬を 仕入れることによって利益を生み出すもの)による収入は無視できないほど大きいものである。 患者の立場からすれば、薬をもらうためにわざわざ別の場所に出向かなければならないという 二度手間が無いという利点をあげる。一方それに反対の立場をとる人は、薬の重複(例えば、 内科と外科で診察を受けている患者が、同様の薬をもらってしまう。)や、悪い組み合わせ の薬(例えば、単体では問題無いものでも組み合わせの相乗効果等によって、悪作用を 引き起こしてしまう。)が起こる危険性があることを挙げる。そして、病院外の薬屋に処方を 持って行くことにより、そこで一つのチェックが働くというものである。 無論、医者は処方する薬の効能などについて正確な知識を有すべきであるし、ある程度の 組み合わせはチェックしてしかるべきであろう。また、患者は病院以外(当事者でない第三者 的な)ところで、自分が服用する薬に対して説明を受けることができるわけである。 つまり、医薬分業の問題は病院と患者にとっていろんな利点欠点が存在しているので、 一概にどちらが正解であるとは決め難いものであるようにも思える。ただ、薬価差益が生み出す 利益を狙った薬の乱発は、行われていると考えざるを得ない状況があまりにも多いようである。 そして、このことが日本の医療費の増加に拍車をかけていることもまた事実である。 確かに、医薬分業が完全になされた暁には薬価差益が引き起こす医療費の増加は防げるであろう。 しかし、それは同時に薬価差益によって支えられている病院の経営状況に著しく影響を与え、 数々の不良経営病院の倒産を引き起こすことを意味する。勿論、そのような経営状況で営業していた 会社(病院)をあえて保護する必要もないという論理は正当なものであるが、そういった 状態がおこったときにそこで医療行為を受けている患者を、しっかりフォローできるだけの 医療体制が、現在そして近い将来この国に存在するとは考えにくいのもまた事実であろう。


1997年9月22日

今回は、日本におけるプロスポーツについて(特にサッカー)について触れよう。 ご存知の通り、今サッカー日本代表は来年フランスで開かれるワールドカップの本大会 に出場するために、第2次予選を戦っている最中である。現時点では、第1戦ウズベキスタン に6ー3で勝利、第2戦UAEと0ー0で引き分けという成績が残っている。どうしたら 本大会に出場できるかは、ここで詳しく書かずとも良いと思うので書かないが、ようするに 日本がいるグループの中で1位になれば文句無しに出場できるのである。ここまでの成績から ライバルは、韓国とUAEになるであろう。第3戦目は韓国戦である(日本で行われる)。 この試合に勝てば、出場できる確立は大きくなるといわれている。日本ー韓国戦は、過去の 対決から様々な因縁を引きずっており、単に予選の重要な試合だけではない何かが感じられる。 これは、選手からというよりも、むしろ応援する側(サポーターと称する人々やマスメディアと 称する人達)からより強く発せられているようである。思えば、前回のワールドカップの最終予選、 カタールの首都ドーハにおいて、イラク戦で勝てばよい試合で最後のロスタイムで同点にされて しまい、惜しくも本大会出場を逃した時(ドーハの悲劇と呼ばれている)から、なにやら今大会で の出場は絶対的なものとして捕らえられてきた雰囲気はぬぐえない。もちろん、2002年の ワールドカップは日本と韓国の共催によって行われることになったわけであるから、それまでに 一度も本大会に出場したことがないというのは、少し照れくさい。したがって、個人的にも今回 は本大会に出場することに全力を尽くすのは大いに結構なことであろう。ただ、少し考えなければ ならないのは、日本のサッカーの世界は他のワールドカップ常連国に比較して明らかに層が薄い ということである。これは、何も代表クラスの選手に限ったことではなくて、全体的な層について 想像をしていただきたい。日本には、プロ野球というおおきなプロスポーツ組織があり、また そこで活躍することを目指して、多くの少年少女達が練習に励んでいる。サッカーにも数年前 Jリーグが発足し、あまりにも遅すぎたプロ化が始まった。それに伴いやはり多数の 少年少女達はプロ野球と同様にJリーガーを夢見ていることであろう。ただ、今の日本にそれら 少年少女を的確に指導することができる人間が、はたして何人いることだろう。多くの少年少女は、 学校のクラブ活動としてスポーツを行う。そして、そこで指導する監督およびコーチは、多くの場合 学校の教諭が担当している。クラブ活動として行うには、それでよいのかもしれないが、あくまで プロを目指すものにとってみれば、その環境はあまりにも貧弱である。プロスポーツは各国のお国柄を如実に反映したものであるといえるが、すくなくとも現在日本のプロスポーツ界で活躍している 人達を見る限り、これまでの日本流の指導育成法は限界であるといわざるを得ないであろう。 2002年にワールドカップが開催されるときには、いやがおうでも(どんなに弱くても)日本は 本大会に参加しなければならない。そして、その時に活躍するであろう今の高校生から20代前半の 選手達は、それまで適切な環境でコーチを受けることができるだろうか、ということを考えると 一抹の不安を覚えるのは、日本流のスポーツのあり方に対して無力感を味わった者だけだろうか。


1997年9月12日

前回に引き続き、ダイアナ元皇太子妃の交通事故についてすこし 触れたいと思う。報道などで盛んに言われていることではあるが、 なにが原因で事故が起こったのか?当初は、パパラッチとのカーチェイスが 直接の原因であるように報道された。そして、運転手の飲酒という事実が わかるや、その運転手とホテル(運転手は、ホテルの従業員)に対して、 一斉に攻撃が始まった。その間、エジプトと英国の過去の歴史からそれぞれの 国の陰謀説もとびだした。そして、近ごろ運転手が飲酒だけでなく抗うつ剤などの 薬物も併飲していたことがわかり、ますます運転手の過失が問われることに なってきている。いまになってなお、事実関係ははっきりとわかっていない。 しかし、興味深いのは薬物の使用が判明したのが、3回目の血液検査であると されている点である。これには色々な意味合いがあると思われる。 それは、3回目でやっと検査にひっかかるほどの量であったのか? はたまた、意図的に3回目の検査で見つかったことにしているのか? 前者であるとすれば、アルコールと併用したときの薬物のもたらす効果を 運転手がはっきりと認識していなかった(あるいは認識はしていたが、 あまくみていた)ことが、直接の事故原因になったとしてもなんら疑問がない。 後者だとすれば、少々ややこしくなる。多量に服用していたとすれば、 なんらかの症状が露呈していたと考えられる。それを、ダイアナのボディガードが 見逃すとは思えない。ましてや、相当量の飲酒をしていたとすれば なおのことである。もし、普段から薬物を服用していたのであれば、同様に チェックされていたと考えられる。それでも、多量に薬物を服用し、かなりの 量のアルコールを飲んでいた人間を、そのホテルのオーナーの息子が同伴している のにもかかわらず運転手として使ったとは考えにくい。当然、それらのチェック がなされてなく、事故を起こす危険性が高い人物を起用していたのかもしれない。 ただ、事実として公表されていることが不自然に感じるのは私だけだろうか?


1997年8月31日

本日未明、ダイアナ元英国皇太子妃が交通事故のため逝去した。 事故原因は確定していないが、パパラッチの追跡を逃れるために ダイアナの載っていた車がかなりのスピードを出していて、側壁に 激突したらしい。憶測でしかないわけだが、昨今のダイアナスクープを ねらって執拗にパパラッチが張り付いていたのは事実であることを 踏まえれば、前述の事故原因は非常に可能性が高いと思われる。 なんでも、最近のダイアナ関係のスクープ写真は数千万円の値がついていた というから、パパラッチ達が群がるのも自然であろう。後日事実関係が 明らかになれば、事故に対する責任の所在などが追求されていくので あろう(パリ警察は、パパラッチ数人を現時点で拘束しているらしい)。 そして、これからしばらくは芸能人等に対する取材等の方法について、 いろいろな議論がなされ、そしてテレビ局はそれを延々と流すであろう。 ようするに、プライバシー侵害VS知る権利である。個人的には、前者が 常に勝利すべきであると考えている。なぜなら、ここでいうところの後者側 には、自分が主張している権利を相手側に許容する意志がないからである。 例えば、スクープ写真が雑誌等に掲載されるとき、スクープされた側の名前、 顔等のプライバシーの部分が公開されるわけであるが、した側の情報は皆無 であるからである。ほとんどの場合、スクープ写真を掲載する動機は読者等の 他人の秘密をちょっとのぞいてみたいという好奇心が大きな購買力をもっている からである。パパラッチなどは、活動そのものがゲリラであるわけだから、 それらを法的に規制しようとすれば、当然のことながら憲法に違反するような 法律が制定されてしまうことだってあるわけである。そして、そのような法律は ゲリラに対してよりも、他の者に対して不必要に働く可能性が極めて高いことは、 過去の近代日本の歴史が物語っていることを、肝に銘じておかなければならない。


1997年8月28日

私は思う。現在の日本におけるインターネットに代表されるネットワークの 利用状況は、けっして満足されるものではない。 たとえば、医療機関において 利用客(あえていうが、病院はサービスを提供する場であるから、そのサービスを 受けるものは客である)の利便をはかるために、ネットワークを駆使することは 自然なものと考えられる。当然のことであるが、利用客の個人的な情報が第三者に 勝手に閲覧されてしまうようでは困る。 しかし、そうしないための技術は日夜開発されており、 実用レベルに達することは間違いない。もちろん、現在までになされている医療機関での ネットワークに関連した財産をうまく流用する努力も必要であり、またそれは独自に開発 されたものが多い事を考慮すれば容易でない。 しかし、医療機関でのネットワークの普及は急務であることもまた事実である。 関係者それ以外の者の区別なく開発に力を注ぐことをためらっている場合ではない。

SWING
もとにもどろうか?